赤ちゃんの黄疸について

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新生児黄疸について

赤ちゃんはよく黄疸という状態になります。黄疸になると、皮膚の色や、白目の部分が黄色っぽくなる症状が出ます。この黄疸について、今回は説明していきます。

赤ちゃんは黄疸になりやすい!

生まれてすぐの赤ちゃんは多くの場合「多血」と言われる状態で、血液が非常に濃いです。
血液が「濃い」とは、赤血球が多い、ということを指します。
例えば、赤血球の多さの指標である、ヘモグロビンという値は、大人で11-16g/dlくらいですが、赤ちゃんでは15-24g/dlくらいまで上がることがあります。
赤ちゃんは母親のおなかの中にいるときには、胎盤を通して赤血球が全身に酸素を運びます。肺で呼吸する場合よりも、酸素を運ぶ効率が悪いため、赤血球の数を増やして対応しています。
ところが、おなかの中から外に出ると、肺呼吸を始めるため、赤血球はそこまで多く必要なくなるため、体の中で不要な赤血球が壊されはじめます。そして、赤血球が壊されるときに産生される、「ビリルビン」という物質が、黄疸の原因となります。
生理的な多血の場合、生後から赤血球が壊されても、そこまでひどい黄疸にはなりません。ところが、胎盤の機能が低下していたり、出生時に赤ちゃんに強い負担がかかったり、臍帯をしばるタイミングがずれたり、また哺乳確立が遅れたりなど、いろいろなことで、多血の症状がひどくなることがあります。

生理的な黄疸と病的な黄疸

赤血球が壊されるときにできるビリルビンは、実はいろいろな他の物質とくっついており、これを「間接ビリルビン」と呼んでいます。この間接ビリルビンが生後に上昇するために新生児にはほとんどの場合、黄疸が起こります。

そして通常の生理的黄疸は、赤ちゃんがミルクやおっぱいを飲んで、排便することで排出され、自然に治ってきます。ところが、このビリルビンがあまりに多いと、赤ちゃんの処理能力を超えてしまうために、治療が必要になることがあります。
多血傾向の赤ちゃんは、多かれ少なかれ赤ちゃんの日齢によって、許容できる間接ビリルビンの値が決まっており、この値を超えると、まず光線療法という治療を行うことになります。
あまりに見過ごせないほどの高値である場合は、血液を薄める目的で血を少し抜いて他で補う、部分交換輸血を行うこともあります。
また、「間接ビリルビン」ではなく、「直接ビリルビン」という種類のビリルビンが上昇する病気もあります。これは、新生児黄疸の機序とはまったく異なり、赤血球が壊されて出てくるビリルビンとは違います。直接ビリルビンは、胆汁などの原料となるビリルビンです。直接ビリルビンは通常、赤ちゃんで上昇することはありませんが、ビリルビンの中で直接ビリルビンの割合が多い場合には、胆汁がうまく流れ出ない胆道の異常などを疑い、精査・治療する必要が出てきます。

新生児黄疸の基準は施設でまちまち

お話しを間接ビリルビンによる新生児黄疸に戻します。
母乳育児を推進する病院では、早期母乳育児の確立のため、生後直後からなるべくミルクの投与を行いません。そうすると、かなりの確率で黄疸になります。
しかも、黄疸の基準値は、いくつかの流派で違いがあって、12時間ごとに比較的厳重に管理する流派もあれば、24時間でいい流派もあります。私が所属するのは24時間でいい派なのですが、黄疸で怖い症状がでたことはありません。なので、新生児期に黄疸で治療した、といっても、特別な病名を告げられたのでなければその後に影響することはほぼないと思って大丈夫です。
黄疸でひっかかると、保育器に入り、紫外線を出す青い光を浴びることになります。通称「日サロ」です。ビリブランケットというタイプの治療を導入している病院もあり、そこでは赤ちゃんがかなり近未来的な光を放ちます。

筆者の体験談

私が第一子を生んだ病院は、母乳育児を超推奨する方針の総合病院で、黄疸は厳重管理の流派でした。
赤ちゃん産んだからといって、初産で母乳が軌道に乗るまでには最低3日はかかります。その間、ミルクを足してもらえたことはありませんでした。ビリルビンは便として排泄されるため、ミルクやおっぱいが入らなければ、ビリルビンは排出できず、値も下がりません。
壮絶なお産であればあるほど、母乳の分泌は遅れます。早くから出る人や余裕がある人はいいですが、しんどい人はその間くらいはミルク足してくれてもいいのにな、と思ったのが正直なところです。
出血大量で初めてのお産後、当然、赤ちゃんはおっぱい欲しがって泣きますが、初めてのことだらけで、一体母乳は出てるのか、吸えてるのかもサッパリ分かりません。助産師さんは「お母さん小児科だしなんでも知ってるよね」といってはじめ何も教えてくれませんでしたが、「なんにもしらないのよ~~」と声を大にして言いたかった。いや、正確には言ったけど、取りあってもらえませんでした。
きっと忙しかったのね、だってその日に9人分娩があったらしいので。
当然十分母乳が飲めるようになるまでには数日かかったので、赤ちゃんはもちろん厳重管理され、退院までに何度も光線療法され、退院するころには真っ黒でした。
あのときのスパルタがあったからこそ、その後は母乳育児も軌道に乗りはしましたが、そのとき「次からはもう少し緩やかな産院にしよう」と誓ったのでした。何事も臨機応変がいいですよね。
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